『自分のアタマで考えよう』をまとめてみた

図書館で借りてきた『自分のアタマで考えよう』書評

ちきりんの『自分のアタマで考えよう』を読んだので、重要だと思った部分をまとめてみた。

ちきりんの本は、多くのブロガーが紹介していたのでいつかは読んでみたいと思って何年か過ぎてしまったが、今回やっと読むことができた。

この本を読んで、自分が今までの人生で実はほとんど考えてこなかったこと、無駄な情報収集も必要のないことに気付けた。

スポンサーリンク

知識と思考の違い

 自分の頭で考えること、それは「知識と思考をはっきりと区別する」ことからはじまります。「自分で考えなさい!」と言われたら、頭の中から知識を取り出してくるのではなく、むしろ知識をいったん「思考の舞台の外」に分離することが重要なのです。

知識とは「過去の事実の積み重ね」であり、思考とは、「未来に適用する論理の到達点」である。

つまり、知識の入手元は外部(書籍や講義、報道など)であることがほとんどなので、何かを考えるときに先入観を持ってしまう。

その時点で、それは「他人の頭で考える」ことになってしまう。

無駄な情報収集はやめよう

 調べ事をしていると、どんな情報も貴重で重要に思えます。あれもこれも調べたくなります。優秀な人ほど「知らないことを知る」ことに興奮するし、熱中するものです。
しかし、情報が重要かどうかは、「今、求められている意思決定プロセスに必要かどうか」によって決まるはずなのです。「どんな情報があの意思決定に必要で、どんな情報は不要なのか」という基準が明確になっていないと、いくらでも情報収集を続けられるのが「優秀なスタッフ」の哀しい性です。

これは自分がすごく当てはまってしまっているのだけど、俺は毎日のタスクで日経新聞、NewsPicks、SmartNewsを一通り読むことにしている。

何となく興味がある記事を読んでいるだけでも、情報をインプットするだけで2時間近くかけてしまっていた。

しかし、多くの情報は正直自分にとってあまり重要でないことに読んでいる途中で気付いたり、読み終わってからもほとんど内容を覚えていないことが多い。

考えてみると、毎日ニュースを読むのは、時代の流れや、今流行っていることを知り、周りに置いていかれないようにするためだ。

だから、あれもこれもと、情報をスナック菓子のように「ちょっと小腹がすいたから」食べていては、インプット過多になってしまうだろう。

「なんとなく関係がありそうだし、どこかで役立ちそうに思える情報を集めている会社員」は、「なんとなく使えそうな食材や調味料を買い物カゴに入れ続ける主婦」と同じです。おそらく大半の情報は、使われないまま賞味期限をむかえてしまう多くの食材と同じように、そのうち使われないままに無駄になってしまうことでしょう。

「考える」「思考する」とは

「考える」「思考する」とは、情報を集める作業でも、その情報の加工やグラフ化の作業でもありません。「集めて加工した情報を、どのように結論につなげるかという決めるプロセス」です。
自分は今日1日でいったい何時間を「考える」ことに使っただろう?日々これを意識するだけで、考える力は大幅に伸びることでしょう。

これも自分を含め、多くの人が勘違いしていることだと思う。

情報を収集したり、加工するだけじゃなくて、最終的には自分なりの答えを出さなくてはならない。

俺の場合も、一日の多くの時間をニュースを読んだり読書をしたりしているが、ただ情報を頭に入れているだけで、自分なりの答えを出せていない。

このブログでアウトプットすることは決意したが、正直まだ情報を加工しているだけな気がする。

データを見たらどうするか

では、何らかの情報を得た場合、どうすればいいのか?

「なぜ?」と「だからなんなの?」

 データを見たときには、その背景(=データの前段階)を考える「なぜ?」と、そのデータをどう解釈・判断し、対応すべきか、と一歩先(=データの後段階)を考える「だからなんなの?」のふたつの問いを常に頭に浮かべましょう。

ちきりんは、「なぜ?」と「だからなんなの?」という二つの問いが重要であると書いている。

「なぜ?」とは、数字の背景を探る問いで、「だからなんなの?」とは、データの先を考える問いだ。

縦と横に見る視点

  • 縦=時系列比較=歴史的な観点でものごとを見ること
  • 横=他社比較=国際的な視点でものごとを見ること

上記の二種類の比較をすることで、データから自分なりの答えを導き出すことができる。

知識を「思考の棚」に整理しておく

得られた情報・データ・知識は、それをもとに考えたこと(=思考)の中に整理して格納しておくことが重要である。

そうすることで、どこかで必要な知識を見つけたときに、すぐにその知識や情報の存在に気付くことができるという。

つまり、「情報感度」を高めることにつながるのだ。

まとめ

 自分の頭だけで考えていると、最初は泣きたくなるくらい幼稚な考えしか浮かんできません。ついつい答えを見たくなってしまいます。考えの深い人や博識な人が近くにいれば、すぐにその人の意見を聞きたくなってしまいます。でも、そこをグッとこらえて自分で考えるんです。

今まで考えることをしてこなかった人は、初めは「自分の頭で考える」ことは難しいだろう。

俺の場合も、日常の多くの場面で他の人が流している情報を、「あー、そうなんだ」だけで終わらせてしまっていた。

インプットするのは案外楽だから、それで勉強した気になってしまう。

でも、重要なのは自分なりの結論を出すことで、そこに至る過程が「考える」「思考する」ことだとちきりんに気付かされた。

時間もかかるだろうし、初めは幼稚な結論しか出せないかもしれない。

けど、スタートしなければ、何も始まらない。

コメント